旅あれこれ

◎奥州藤原氏と平泉、その滅びの跡を訪ねる。その2。

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その1は中尊寺と毛越寺でだいぶ長くなってしまいました。

◎奥州藤原氏と平泉、その滅びの跡を訪ねる。その1。

中尊寺と毛越寺以外に、観光の時間を長く取れる方は、他にももっともっと行くところがありますよ!さあ、どんどん参りましょう!

高館義経堂。

テッパンである中尊寺と毛越寺の他に行きたいのは、高館義経堂です。読み方は「たかだちぎけいどう」。これは義経、源義経を音読みしたものですね。

言い伝えでは、晩年平泉に身を寄せた源義経が住んでいた館があり、義経は藤原泰衡に攻められここで没したと言われています。ただ、ここが終焉の地だったかどうかは史実としては確定していません。

しかし高館義経堂が、義経の縁の地であるのは間違いないところ。一番高いところに義経を祀る小さな祠があります。その中に安置された義経の木像は、……正直かわいらしすぎてちょっと笑ってしまう。五月人形っぽい。祠自体は伊達綱村が修復した?建立した?もので450年くらい経ってますが、木像はどうなんだろう。落魄も恨みもなく、立派な武者姿。

実はわたしが平泉に惚れこんだのは、まさに高館義経堂で、でした。中尊寺や毛越寺は遠足で来るくらいのところだったんですよね。なので何度か訪れていた。その時点では平泉は、数ある観光地の中の一つ。何度目かの訪問で、いつものように中尊寺と毛越寺に行って、最後に初めて高館義経堂へ行ったと思いねえ。

車を停めるところがなく、運転をしていた人がちょっと見ておいで、と言ってくれたので、わたしは自分だけで高館を登って行きました。夕暮れ。そんなに長くはない階段。その階段を登りきると正面に眺望が広がる。

眼下に北上川。正面に束稲山。思いもかけない雄大な景色で、言葉を失ったまま、その景色に見とれました。

そうか、ここで義経が……。ここで毎日この景色を眺め、桜咲く束稲山に吉野をしのび、北上川の悠々とした流れに心を慰めたのか……

ふと気づくとそばに石碑があり、そこには「おくのほそ道」の平泉の段が。

夏草や つはものどもが 夢の跡

夕方遅く、他に誰もいない。その石碑に書かれた文字を声に出して読みました。読まずにはいられなかった。その張り詰めた文章にどれだけの想いが詰まっているのかを感じました。その芭蕉の想いが乗り移ったのか、わたしもそれから平泉愛です。

今の高館は束稲山との間に道路が通ってしまい、わたしが初めて見た時の山と川の景色に現代が入り込んではいるのですが、基本的な眺めは変わっていません。左側の遠くの田んぼは衣川合戦場跡でしょう。束稲山は、春には桜で覆われる筈。

 

そうそう、義経と同時代人で都から訪ねて来た歌人僧、西行も歌に詠みました。(この西行もなかなか興味深い人物ですが、今回は割愛)

聞きもせずたばしね山のさくら花 吉野のほかにかかるべしとは

吉野の奥に一人、庵を結ぶほど吉野と桜を愛した西行にここまで言われたら、束稲山の桜もなかなかのものだと思いませんか。

 

 

義経終焉の地なのか。

ところで、高館は史実として義経最期の場所なのでしょうか。ちょこっとだけ私見を。

わたしの個人的な意見では、ここではなかっただろうと思います。

わたし自身は、はるか昔最初に訪れた時に「ここが館だったにしては平地が少なすぎる」と感じました。たしかに北上川に臨む要害の地ですが、逆に言えばそんな要害の地に、潜在的な敵である義経を住まわせたとは思いにくい。

義経は秀衡の舅である藤原基成の衣川館に同居していたという記録が「吾妻鏡」にあります。基成はもともと都の貴族で、奥州藤原氏の一族ではないのですが、長年平泉に住み、平泉首脳陣の中でも重んじられていたと思います。基成の館としてならこの位置はさほど不自然ではありません。

ただし、高館から見れば伽羅御所内の動きは丸わかり。無理がある気がします。秀衡の居館である伽羅御所、平泉の政庁である平泉舘はすぐそばで、近くで目を光らせていたという考え方も出来ますが、常に上から義経が見下ろすという位置は、泰衡の視点で考えればどうなのか。義経の立場は、三代秀衡がいた頃とその没後で劇的に変わるので、居住地の移動などがあった可能性もあります。

なお、基成の居館は平泉よりもっと北の衣川にある接待館遺跡であるという伝承もあり、個人的にはこちらを取りたいところ。基成の居館は、おそらくは寝殿造りに近い、広い敷地を必要とした建物だったと思うので、高館では敷地がやはり狭すぎるのです。

 

高館義経堂

営業時間:年中無休 8:30~16:30(冬季は16:00)

拝観料:大人・高校生(200円)、小中学生(50円)他団体割引あり

 

 

平泉文化遺産センター。

平泉の歴史についてのガイダンス施設です。この辺りは世界遺産になって整備した部分でしょうね。映像やパネルを使って視覚的にわかりやすく説明しています。これは無料なのが嬉しい。

実物を見るのが一番大切なので、優先順位は中尊寺や毛越寺の方が高いですが、平泉の観光に半日以上かけられる方は、まずここを見てから平泉を巡るのがおすすめです。そうすると歴史の流れがわかって、その後行く先々で楽しめると思います。

 

平泉文化遺産センター

開館時間:9時から17時まで(入館は16時30分まで)

休館日:年末年始と展示替えによる不定休

 

柳之御所遺跡

平泉の政庁跡と言われる遺跡です。史跡公園として広々とした空間になっています。

遺跡なので考古学好きにおすすめの場所。遺跡というのは基本的に「昔ここには〇〇があったんだよ」というだけの土地なので、楽しむためにはちょっと知識と想像力が必要かもしれません。

平泉文化遺産センターの後ならば、そこで見て来たことを忘れず、ここで脳内リプレイしてみましょう。昔あった建物。倉庫群。政庁で働く人々。義経や秀衡も確実に歩いた地面です。いにしえをしのぶよすがとなる園地や遺構も復元されているので、過去を透視するつもりで。

晴れていれば空が広く開けた気持ちのいいところです。なお、付属の資料館は展示物はだいぶ地味ですが、中国大陸由来の陶器や渥美、瀬戸の焼き物などの実物があり、平泉の交易範囲の広さを実感させるもの。東海地方の陶器はおそらく北上川をさかのぼって運ばれたのでしょうね。

(と書いたのですが、柳之御所資料館は2018年12月28日で閉館したそうです!2021年を目標に、もっとパワーアップしたガイダンス施設を作るらしい。その間、出土物は岩手県立博物館で展示する……と書いてますが、岩手県立博物館って盛岡やないか!動線が長すぎるわ!と思わずつっこむ。)

この他、平泉中心部には、

無量光院跡……三代目秀衡が作った大寺。宇治の平等院鳳凰堂を模し、それよりも大規模に作られていたといわれる。現在は遺跡のみ。

観自在王院跡……二代目基衡所縁の寺。建立者は基衡、基衡妻、基衡母といくつか説がある。毛越寺と隣接しており、現在は池と小さな祠が建つ。

金鶏山……頂上付近に経典が埋められ、信仰の山としての側面が大きかった。「おくのほそ道」にも「ただ金鶏山のみ形を残す」とある、平泉を守る霊山といえる。

などがあります。平泉を見つくす方はこちらもどうぞ。

 

平泉中心部からは少し離れたところでおすすめしたい場所もいくつか。

達谷窟毘沙門堂。

たっこくのいわやびしゃもんどう、と読みます。……正直「窟」って書けんわ。岩屋だと思ってました。

 

 

征夷大将軍坂上田村麻呂が、この場所に立てこもった蝦夷の首長たちを征伐した後、毘沙門堂を建てたという由来があるようです。

立てこもったのは悪路王(あくろおう)とされるのですが、これは阿弖流為(あてるい)の別名であると言われています。史実は不明。阿弖流為は当時の岩手県中部あたりの勢力の長で、坂上田村麻呂と戦ったのは史実です。

わたしは昔から不思議なんですけど、坂上田村麻呂ってなぜだか東北で人気があるんですよね。青森ねぶたでも坂上田村麻呂は人気のある造型らしいし。都から攻め込んで来た侵略者という立場のはずなのに。

ただ、坂上田村麻呂は阿弖流為を打ち負かした後、帰順するよう説得し、阿弖流為とも信頼関係が成り立った上で都に伴ったといいます。しかし当時の朝廷は坂上田村麻呂の助命嘆願を容れることなく、阿弖流為を反逆者として処刑してしまいます。坂上田村麻呂は悲痛な思いをしますが、阿弖流為は坂上田村麻呂を恨むことはなかったといいます。

この1200年前の出来事の結果が現代でどうなったかというと……

 

 

京都の清水寺に阿弖流為とその同盟者である母礼(もれ)の顕彰碑が建った。清水寺は坂上田村麻呂建立の寺ですからね。それにしても1200年前のことですよ。

坂上田村麻呂と阿弖流為の物語は美しいものとしてずっと語り伝えられて来たのでしょう。攻め入った側と攻め込まれた側。敵と味方の筈なのに、今、清水寺に顕彰碑が建つ。歴史の縁。

毘沙門堂のそばには大きな摩崖仏もあります。摩崖仏というイメージよりはだいぶ二次元ですが。主に顔だけが彫られています。

 

達谷窟毘沙門堂

営業時間:年中無休 4月1日から11月23日まで8時から17時、

11月24日から3月31日まで8時から16時30分

拝観料:大人(300円)、中高生(100円)、小学生(無料・但し教育旅行100円)

 

厳美渓・猊鼻渓。

一関市を挟んで右(東)にあるのが猊鼻渓(げいびけい)。左(西)にあるのが厳美渓(げんびけい)。ひらがなだとちょっとややこしい。

猊鼻渓は穏やかな流れで、川下りが楽しめます。緑のきれいな季節はとりわけ美しい。

 

 

厳美渓は岩がごろごろしている風景。まさに「厳」。なお「空飛ぶ団子」が有名です。川を横断してロープが張られており、ざるに代金を入れると、対岸の団子屋「郭公屋」さんからだんごが届きます。ざるを引っ張るのは人力なのでちょっと大変そう。「郭公屋」さんは店から見下ろすお庭もきれいなので、お店の方へ行くのもおすすめです。

 

 

どっちか片方しか行けないという場合は、わたしは猊鼻渓の方が好きかなあ。

 

えさし藤原の郷。源氏物語好きにもおすすめ。

平泉から北へ30キロほど行ったところにある「平安時代テーマパーク」です。ここは元々、奥州藤原三代を描いた大河ドラマ「炎立つ」のロケセットを母体にした商業施設で、藤原氏時代の建物がいろいろ再現されています。

平安時代好きの方には、寝殿造りの建物を歩けるのはかなり魅力的じゃないでしょうか。寝殿造りは残ってない。ほんとーに残ってない。一応宣伝コピーでは「日本で唯一の寝殿造りの再現」だそうです。そういう意味では源氏物語好きにもおすすめ。

平泉を見て来た目で見ると、あの場所はこういう建物があったのか!とよくわかるかと思います。今でも歴史ドラマのロケに使われ、テレビで時々見かけるので「ああ、有効活用されてるなあ……」という感動(?)が味わえます。

 

えさし藤原の郷

営業時間:9:00~17:00(冬期間11月1日~2月末日までは16:00閉園)
但し入園は閉園の1時間前まで

入場料:大人(800円)、高校生(500円)、小中学生(300円)その他割引有

なお、隣接するえさし郷土文化館との共通券有

 

時間別、平泉のおすすめ観光コース。

車で訪れる場合の目安としては以下の通りです。ただわたしはどっちかというと色々詰め込み勝ち……

 

2時間コース:中尊寺→毛越寺。よそ見をせず、一所懸命回りましょう。

3時間コース:中尊寺→高館義経堂→毛越寺。お茶を飲む時間は……ないかな……。

ほぼ一日コース:平泉文化遺産センター→中尊寺→高館義経堂→毛越寺。お昼を食べる時間もとれます。

がっつり一日コース:平泉文化遺産センター→中尊寺→高館義経堂→(無量光院跡)→毛越寺(観自在王院跡)→(柳之御所遺跡)→達谷窟毘沙門堂。達谷窟毘沙門堂まで行くとすると、車移動か時間に余裕がないと大変だと思います。

一泊二日コース:これは移動手段や、北からのアプローチなのか南からなのかにもよりますね。車移動で南からのアプローチの一例として、

一日目:厳美渓(か猊鼻渓)→達谷窟毘沙門堂→毛越寺(観自在王院跡)→平泉文化遺産センター(平泉泊)

二日目:中尊寺→高館義経堂→(柳之御所遺跡)→えさし藤原の郷

うーん、こんなところでいかがでしょう。厳美渓でだんごを食べたり、猊鼻渓で川下りをしていると、それだけで午前中を使っちゃいそうなんですよね。

公共交通機関で訪問する方は、レンタサイクルを利用すると良いかと思います。平泉駅から中尊寺までは約2キロだそうですので、歩きだとそれだけで30分。2時間コースは厳しい。さらにそこから月見坂を登りますからね。

 

平泉へ。ゆったりと。

平泉は歴史の盛衰を感じるところなので、出来れば駆け足ではなく、ゆったりと訪れて欲しいところです。そんなことを言いつつ、わたしも時間がなくなり、行こうと思っていたところに行けないことがあります(汗)。あまり詰め込み過ぎないようにしましょう。自戒をこめて。

 

 

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