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< 山は。>【prose】

畑の畝がまっすぐに伸びる。山に向かってまっすぐに伸びる。
山は十勝岳。夏の空が青く広がる。
麓の人々は山と空を眩しく見上げる。

北上川べりでは紅色の萩の花が風に揺れ、音符のように踊る。
萩越しに見える山は岩手山。南部片富士と呼ばれ、片側の稜線は富士に似た秀麗な線。もう一つの稜線はおだやかに長く伸びる。水豊かな盛岡の街を見守る、守り神。

西へ向かう電車の座席でうたたねから覚めると、そこに富士山があった。
一目見て息を飲んだ。そんなはずはないのに、視界いっぱいに山だけが映っているように感じる。圧倒される。
それまで単にシンボルとしての、あるいは画面や写真のなかの富士しか知らず、その紋切型にうんざりしていた。違う。実物の富士はまさに霊峰、日本の大空を支える大きな柱だ。実物を見てあれほど印象が変わったものは他にない。

春の日に信貴山のお寺へ行った。広い境内を観て歩いた末に、展望の開けた場所に出る。南の方角を見ると霞のかかる空に紫色の山が濃く薄く連なっている。山紫水明という言葉は、単に美称ではなく。実際の風景を語った言葉だと知った。
この方向は葛城山系。葛城氏は古代日本の有力豪族で、磐之媛という大王の后を出した。山紫水明の地はやはり日本のふるさとだったのだ。

由布岳の標高は一五八三メートルというから、それほど高い山ではない。しかし由布院の町から見た由布岳は、田んぼの向こうにすらりと立ち上がる優雅な山。里から見上げた二つの頂が特徴的だ。この地の人々に愛される、母のような山。

広い裾野がびっしりと緑に埋まっている。耳に聞こえる鳥の声がいかにも楽しそうで心に染み入る。この広い緑にたくさんの鳥が住んでいて、これほどに楽し気に歌っているのならそれは楽園なのではないだろうか。桜島の山麓は楽園だった。
山からこちらに向かって押し寄せる緑は山の力。山が蓄えた緑の爆発だ。

馬が立っている。馬が立っている。蕭々と雨が降って――いなかった。
わたしが訪れた日の阿蘇は快晴。青い空に緑の草原があって幸せを感じる。そして馬。三好達治の詩そのままに、馬が何頭もお尻を見せてのんびりと並んでいる。ありていに言えば彼ら彼女らは勤務中。引馬として観光客を乗せているのだ。
阿蘇の草千里。馬は心を和ませ、吹く風は心を澄ませる。

 

 

 

< けしの花 >【prose】

罌粟の花十日たちけり散にけり    加舎白雄

つぼみも茎も、獣のようなごわごわした毛に覆われている。つぼみの楕円の形、茎の曲線も、天然のものではなく造花のよう。つぼみと茎だけで、葉のないのっぺらぼうな姿。花であるということはそれだけで美しいものなのに、どうしてけしはこんなに恐ろしい姿をしているのか。

しかし獣のようなつぼみが割れ、その内側から花びらがこぼれ出ると。――途端に華やかに変身する。太陽の朱色。トパーズの黄色。雪晒しの白。きゅうくつに畳まれていた折り目をわずかな時間でピンとさせ、堂々たる美女。

花びらはクレープデシンの質感。ベル・エポックといわれた時代の、アール・デコのドレスのような。“古き代の富みし館の”花のように咲き乱れていた淑女たち。銀色の髪飾りがシャンデリアの光を反射してかそけく光る。

どう?とあでやかさを見せつけている。勝ち誇る表情。つぼみの頃の野卑な自分を忘れたように。ためらいも、気後れもなく咲く一輪一輪。

しかし十日も過ぎると――花弁は散る。

突然、一枚の花弁がはらりと落ちる。後を追うように他の花びらも落ちてゆく。鮮やかな色のまま。花びらの上には粉砂糖を飾ったように白い花粉が。机に落ちた花弁は一日経つと皺が寄り、乾いていく。

乾いてもなお、花びらは華やかな色をとどめる。美しかった時代の名残の色を。古き代の富みし館の、今はもう誰もいない古き館の、紳士淑女たちが触れた窓帷のように時間をとどめて。

 

 

 

 

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