京都や奈良に比べたら仙台は神社仏閣が少ない!……いや、実際の数的にどのくらい違うのかはわからないけど、なんか全体的に京都や奈良の神社仏閣の方が魅力的なんですよねー。正直なところ。
その理由は――全く個人的な嗜好ですが、仙台の神社仏閣は比較的新しいからです。
わたしの神社仏閣好きは源氏物語の聖地巡礼から始まっているので、出来れば平安時代的雅な世界を味わいたい。しかし仙台は基本的に伊達政宗が開いた町。そのためほとんどの神社仏閣は、戦国時代以降の雰囲気が強いんですよねー。伊達家の誰それが建立したとか勧進したとか、保護したとか、そういう由来話がとても多い。
大崎八幡宮などは伊達氏の前の大崎氏が現在地に遷座させました。桃山時代の華麗な建築様式を誇る社殿を持ち、かなりの名建築(日本で最古の桃山様式建築らしい。ほんと?)だそうですから、それはそれでいいんですが、わたしの求める雅とはちょっと違う。
いや、いいんですよ。いいんだけども、もっと古い時代の香りが欲しいなあ……。
そんなことを感じる人におすすめしたいのが、名取熊野三社です。
名取熊野三社の特徴。
よくお正月には、三が日の参拝者数のベスト3なんかが発表されますね。名取熊野三社はそれにはまず名が上がらない。はっきりいって周りで聞いたことすらない。もっとはっきり言えば、わたしも行ったのは十数年ぶりでした。
しかし今回行って、しみじみ、いい神社だなあ……と思いました。
名取熊野三社の特徴は、なんといっても三社が1セットになっているところですね!
熊野神社(旧熊野新宮社)
熊野本社
熊野那智神社
これは本家である和歌山県の熊野三山の構成と同じです。世界遺産の熊野古道があるところですね。この三社が別々に、しかしセットで近場に祀られていることは珍しいらしい。和歌山以外では全国でここだけと言われています。ミニ熊野。かわいい。
熊野信仰は日本全国に広まっており、熊野系統の神社の数は全国で3000とか。そのうちの700が東北にあるらしい。東北は熊野信仰の篤いところなんですね。
最初に出来たのがいつ頃の話かというと西暦1123年。これは源頼朝のお父さんである源義朝が生まれた年に当たります。東北でいえば藤原清衡の晩年。
名取熊野三社の由来、名取老女の伝説。
名取に一人の老女が住んでいました。熊野信仰が篤く、毎年のように紀州熊野にお参りに行っていましたが、年を取って旅が出来なくなりました。仕方なく家で紀州のことを一心に拝んでいたのですが、ある日、熊野から山伏がやってきます。
山伏の夢に熊野の神様が現れて、名取の辺りに信仰の篤い老女が住んでいるから、この歌を授けよと言われたというのです。
道遠し ほどもはるかに隔たれり 思ひおこせよ 我も忘れじ
(遠くて離れてはいるけれども、私を思い出してください。私も忘れませんから)
老女は感激し、遠い紀州から熊野の神様の分霊をしてもらいました。それがこの名取熊野三社だということです。
……わたしはこういう由来話、好きですけれども、いろいろつっこみたいなあ。
当時、そんなに頻繁に熊野まで行けただろうか。飛行機や電車がある現代でさえここから和歌山県、それも熊野三山に行くのはかなり大変ですよ。
ただ逆に言えば、この言い伝えは毎年紀州熊野に詣でるのもそれほど大変ではなかったということを示しているのかもしれません。
もしそうだとしたら、わたしはそれは船を使ったからではないかと思っています。
熊野は熊野水軍があったように、海の民族でした。山から山へ渡り歩く修験道の信仰とは別に、物資を船で東国や陸奥へ運ぶ海のルートもあったに違いない。そういう船に乗って行き来することは不可能ではなかったかも。言い伝えによっては名取老女は巫女であったとしているものもありますし、熊野信仰を運ぶ役割だったのかもしれません。
しかし神さまが夢でお告げをしたにしては、歌が俗っぽすぎるんだよなあ……。これ、単に恋歌ですよね。遠距離恋愛の歌。
そして三か所も神社を建てる、そのお金はどこから出て来たのか。名取老女が出したわけじゃないとしても、村のお大尽が出したのか。村人に寄付を募ったのか。それは相当なお金がかかる……。
まあ最初から今の規模で作られたとも限らないしね。ちっこいお社ならば可能。
……と、性格の悪いつっこみ属性を披露したところで、伝説のコーナーは終わります。
熊野神社。
旧称は熊野新宮社。ここが一番いい雰囲気でした。
静かでね。誰もいない。ちょうどいい広さですね。本殿の前、この距離に池があるところは山形県の出羽神社を思いおこさせる。
池の中にある足場は一見通れそうですが実際の間隔を見ると通れません。多分昔はここに橋がかかっていたのでしょうね。橋があったらそんなに珍しくない神社になるが、ないことで直線で本殿に進むわけではない、ちょっと珍しい境内になっています。
なかなか落ち着いた、どっしりとした神社です。
境内側からはあんまりよく見えない奥の院を、境内の外の駐車場兼ゲートボール場から見たところ。古代的な雰囲気が漂います。
熊野本宮社。
こちらも古代的な雰囲気の神社。舞殿があります。舞殿があると神社の格が上がる気がしますね。実際はどうなのかはわからないけれども。
島根県松江市の山の奥に熊野大社というところがあります。そこを思い出します。大きさは松江の方がずっと広いですが。あそこも雰囲気のいいところだったなー。松江・出雲はいい神社がたくさんあるところですが、その中でも印象に残りました。
名取の熊野本宮社は、以前は500メートルほど南西の高台にあったそうです。今のゆりが丘辺りってことですかね?ここは和歌山の熊野本宮になぞらえて、大原など、近くの地名も一緒に持って来たらしいです。こういう話、歴史を連綿と受け継いでる気がして、好きだなあ。
熊野那智神社。
他の2つの神社とはだいぶ離れ、那智が丘の山のてっぺんにある神社です。メイン道路を進んで行くと見つけやすい看板が出ているので、そこを左折すれば大丈夫。でも団地の入口から看板までが長いので「看板見逃したかな?」と不安に思うかもしれません。看板は、そろそろ頂上かなと思うあたりにあります。
本堂の趣としては今ひとつ……。
しかしこの境内からの眺望がすばらしい!
風が涼しく、静かで、いくらでもいられるところです。……が、展望所に先客がいると、そこに割って入るのは気後れする雰囲気。誰もいないことを祈りましょう。
駐車場が3か所ほどあり、最初に目についた看板に従って車を停めると、本殿までほんのちょっと歩きます。この「ほんのちょっと」にけっこうな高低差があるので、歩きたくない人は注意。
でもこの遠い駐車場に停めると、途中のお堂の縁の下に住みついているらしき猫に会えるかもしれません。エサ皿(水皿?)がここにあるから、家で飼われているわけではないようです。黒と茶色のトラ猫は寄ってきて、撫でさせてくれました。薄いベージュの、態度の大きな猫は近づくと逃げます。猫を撫でたのなんて久しぶりだったなー。
境内の石碑もいい感じ。見逃してしまいましたが、もっと奥に行けば那智の滝を模した小さな滝があったようです。
三社めぐり。
この三社を廻るコースは名取市でもウォーキングコースとしておすすめされているらしい。
これねー。12.7キロを2時間50分予定というのはなかなかハイペースだと思います。何しろ高低差がすごいもの。団地のさらに上まで行かなければならないので、完全に登りです。歩く場合は相応の覚悟をしていってください。
車で行く場合には三社めぐりは近いので簡単。熊野神社と熊野本宮社は幹線道路のすぐ脇にあるので行きやすいです。そういう位置のわりに隠れ家感があって、そこが神社の味わいに繋がっています。駐車場(というより空き地)もあるので車で行っても大丈夫。
なお、熊野那智神社のそばには高館城跡の看板がありました。これは平泉合戦の時に頼朝軍を迎え撃った平泉方の陣地だったそうです。熊野別当というのは、平泉にある神社のことだと思っていた。こんな身近に平泉関連の遺跡があったとは……!
道はありますが林の中に分け入っていく感じなので、行きたいけれども行けなかった。そのうち行きたい。
全国でも珍しい、熊野三山神社ミニセット。
今回久しぶりに熊野三社に行って、改めていい神社だなあと思いました。雰囲気が古代っぽいんですよね。いい神社なのにあまり知名度が高くない。そういう神社仏閣は他にもいっぱいあるんだろうなあ。
今後はそういう神社を発掘していきたいと思います。旅先だと少々マイナーな神社にも足を延ばしたりするんだけれども、地元だと意外に行かないもの。
仙台周辺で有名な神社仏閣といえば、
大崎八幡宮
塩釜神社
竹駒神社
向山愛宕神社
定義如来
瑞巌寺
金蛇水神社
仙台東照宮
青葉神社
輪王寺
薬師堂(国分寺)
榴岡天満宮
桜岡大神宮
仙台大神宮
などですかねー。けっこうありますね。ここらへんは全部行っているが……。その他では紫陽花が咲き乱れる資福寺、多賀城廃寺跡、秋保神社、多賀神社などでしょうか。あっ、松島の円通院には行ったことがないんだった!行かなきゃ。
わたしは金蛇水神社と定義如来がお気に入りなので、カナヘビさんには年に1、2回、ジョウゲさんには数年に1回ほど行きます。その他のところは、何度か行ったことがあるという程度。
今後もいい感じの神社仏閣を発掘していきたいです。
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