最近琳派が人気です。
でも琳派ってなに?そう訊かれると正直シンプルな答えは返せない。実は琳派って普通の流派じゃないんです。非常にユニークな特徴を持つ、歴史上でも珍しい存在。
では、どんなところがユニークなのでしょうか。
そもそも流派なの?
日本絵画史上、有名な流派には「狩野派」「土佐派」があります。流派って普通、師匠というか代表者がいて技法があって、それが親子や師弟で代々受け継がれていくというイメージですよね。
しかし琳派の場合、画家同士に直接的な子弟関係はありません。ここが非常にユニークな点。
琳派の有名画家といえばこの3人です。
俵屋宗達(?~1640年頃)
尾形光琳(1658年~1716年)
酒井抱一(1761年~1829年)
ご覧になっておわかりの通り、生没年が相当離れていますね。
この3人、当然ながら直接の師弟関係はナシ。俵屋宗達が数十年前に作った作品を見て、尾形光琳が宗達のいいところを取り入れ、尾形光琳が遺した作品に感銘を受けた酒井抱一がその作風を取り入れた、という関係です。
なので、三者はゆるくつながり、その上で自分たちの個性も自由に表現できました。門下に入って「琳派」を学ぶわけではなく、宗達なら宗達の、光琳なら光琳のいいところを個人的に取り込む。
そういうことを行なった何人かの絵師の画業を後世の人々が見て、彼らの間に共通する美意識を感じ取り、その流れを「琳派」と名付けました。
琳派という名前は。
琳派という名前は意外に新しいのです。
明治時代に日本美術が大量に海外に流出し、それに伴って海外で日本美術が注目を浴びましたが、その中でも俵屋宗達、尾形光琳などは特に注目を集めた絵師でした。「琳派」はその頃、海外で呼ばれ始めた名前です。
「琳派」という名前が定着する前は、
「宗達光琳派」
「光悦派(←宗達と関わりの深かった本阿弥光悦という工芸家)」
「尾形流」などいろいろな呼び方に分裂していたそうです。
日本では1972年、東京国立博物館創立100年を記念して行われた「琳派展」以降、だいたいこの名前が使われるようになりました。名前の統一は概念の強化に繋がるから、そこからでしょうね。琳派の人気は。
琳派の特徴。
ではその琳派とはいったいどういったものなのか。
……これはねー。ぴっちりした定義があるわけじゃないと思うんですよね。
というのは、前述したとおり、彼らとしては別に流派として活動する必要がないわけです。むしろ時代の本道からちょっと外れたところにいる新しい感覚の個性的な絵師たち。
ということはその絵の傾向は個人個人独自で、琳派という定められた定型があったわけではない。一人の絵師がいろいろなタイプの絵も描いていますしね。
しかし後世から「琳派」とくくって呼ばれるわけで、何か共通するものがあるはずです。ではその特徴はどんなところでしょうか。
それは、
〇デザイン性の高さ(簡略化・シンボル化。時々型紙の使用あり)
〇流麗なラインの強調
〇金箔(銀箔)の多用
ではないかと思います。
琳派の人々。
琳派の主要な人物といえば以下の人々。
俵屋宗達と本阿弥光悦
↓
尾形光琳と尾形乾山
↓
酒井抱一・中村芳中↓
鈴木其一・神坂雪佳
それ以降は、人によって10人くらいの名前があがって、もう近年は琳派の影響を全く受けてない画家というのは存在しないのでは?という勢い。
そこからすると、
最初の源流は単に一絵師(俵屋宗達)の個性だったものが、世代を超えて宗達を「発見」した光琳、光琳を発見した抱一によってだんだん大きな流れになり、日本美術の一つの背骨になりつつあるという状況。
面白いことです。それも狩野派という主流派があってこそでもありますが。
琳派の絵いろいろ。
琳派の代表的な3人、俵屋宗達と尾形光琳、酒井抱一の絵を並べて見ます。
俵屋宗達「風神雷神図」
俵屋宗達 (Tawaraya Sotatsu, ? - ?) - Brother Sun , Sister Moon, パブリック・ドメイン, リンクによる
尾形光琳「紅白梅図」
尾形光琳 - 1QHaWaqlJnZ_Kg at Google Cultural Institute, zoom level maximum, パブリック・ドメイン, リンクによる
酒井抱一「風雨草花図」二曲一双
酒井抱一 - Emuseum, パブリック・ドメイン, リンクによる
酒井抱一 - Emuseum, パブリック・ドメイン, リンクによる
結局3人の代表作が各人の方向性を最も表しているのではないかと思いました。
宗達の「風神雷神図」はその配置が大胆。雷神の太鼓が画面から切れているところ。
光琳の「紅白梅図」は華麗。一枚の絵としての完成度が高く、わたしは世界に誇る日本美術のベスト1を挙げるとしたらこれじゃないかと思っています。
抱一は繊細。わたしの中では他の2人と比べて少々地味。この「風雨草花図」は当初はなんと、尾形光琳の「風神雷神図」の裏側に描かれたそうですよ。どうしてそんなことをするのかわけがわからん。お互いにもったいない。今は別々に表装され直したそうなので一安心。
抱一は掛け軸の花鳥画が素直に良いと思います。
たしか二曲一双の屏風は宗達が始めたものだったような?宗達は裕福な町衆を顧客にし、扇や装飾料紙などを扱っていた絵師だったようですが、そのため大寺院や貴族邸宅よりサイズダウンした屏風の需要が高かったのかもしれません。
が、そのソースが見つけられなかったので話半分にきいて下さい。
クリムトも琳派に影響を受けた?
クリムトは日本美術を見て影響を受けたと言われています。影響の有無の真実は本人にしかわからないと思うけれども。
クリムトの絵のぺったりした金の背景。「接吻」や「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」。この辺は琳派的なものを感じる。
でも金色の背景には、西洋にもビザンティン美術という先行例がありますしね。琳派の影響だけともいえませんが。
服の意匠は、そうじゃないかと思ってみれば小紋のようなデザインといえないこともない気がする。小菊をデフォルメしたようにも見える。黄八丈を基にしたデザインにも見える。絶対そうだ!という強力な根拠はないけれども、そうであってもおかしくはない。
平面性と装飾性は琳派と共通するものがあるかもしれないですね。たとえば「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」を二曲一隻の屏風に仕立てたとしても似合うかもしれません。まあ屏風のスタイルを意識してはいないと思うけれども。
……もしかしてクリムトも琳派と呼ばれる日がきたりして。
琳派も面白い。日本美術は面白い。
近年きているというウワサの日本画ですが、知らないことばかりなのでいろいろ調べていくと面白いですね。今まで通ったことのない道を通ってみる時のわくわく感を感じます。
最近は面白そうな画家がたくさん見つかって大変うれしいです。日本画の小道を辿ってみませんか。
これ、琳派について初心者向けにまとまったとてもいい本でした。琳派に興味を持ったら1冊目におすすめ。テーマに対しては若干ページ数が少なめと感じますが、詳しすぎずに解説してくれています。
掲載画もきれいでチョイスが絶妙!その画家の1枚目2枚目を載せているのではなく、3枚目4枚目くらいを選んでくれているので、目に新しく新鮮です。