世の中には古今東西出版された山ほどの本があり。
その中でタイトルを知る本がほんのわずかにあり。
その中で読んでみようかと食指が動く本がさらにさらにわずかにあり。
実際に読んでみる本が半分くらいあり。
読んでみた本の中で面白いと思える本はだいたい17%。
すごく面白い!と思える本はその17%の中の8%くらい。
というのがわたしの感触なのですが、本読みのみなさん、どうですか?
当たりの本に、当たらない。
ちなみに17%というのは全くデータに基づく数字ではなく、適当です。その後の8%というのはさらに適当。
たとえば100冊本を読んだとしたら、まあ読んで良かったな、という「まあまあレベル」をクリア出来るのがそのうち17冊くらい。
……もちろん最初は興味があり、面白そうだと思うんです。しかし読み始めてみると「思っていたのと違う」ということが多々ある。大部分そう。
で、すごく面白い!と思うのはその17%の中で8%。ということはそもそも読んだ100冊のうちすごく面白い!と思うのはせいぜい1、2冊なわけです。
こういう割合だと「この作家だから面白い!」とは到底言えない。昔はもうちょっといたのですが、近年「好きな作家」だといえる人は本当に減っています。
近年、好きな作家といえる数少ない一人が宮田珠己。
宮田珠己はエッセイストです。脱力系。四次元的。
宮田珠己は旅行にまつわるエッセイストです。脱力系エッセイ。いうならば戯文。うかうかと読み進めて行くと四次元の落とし穴に落とされ、地下鉄の中で噴き出してしまう。
文章がオカシイです。おかしい&可笑しい。話の時空がぐにゃりと歪むレトリック。四次元的。
そして、本人の興味の方向がものすごく辺縁。いや、違いますよ。旅の目的地としてアマゾンとか砂漠とかの辺境が好き、という意味ではありません。ヘンなのは興味の対象。「そこなんかい!」といいたくなるような辺縁ぶり。その辺縁ぶりにハマる人はハマる。わたしもハマった一人です。
ヘンな宮田珠己のおすすめ本。
「だいたい四国八十八ヶ所」
タイトルでおわかりの通り、四国八十八ヶ所を巡った時の旅行記です。全部一度に回ったわけではなく、何回かに分けての「区切り打ち」。(という言い方をするらしい)
本人は特に信仰心があるわけではなく、冒頭の文によると、
>一周してみたい(四国)、全部回ってみたい(八十八ヶ所)、いっぱい歩きたい
これだけ。いわば長大なスタンプラリーにエントリーするような気持ちで八十八ヶ所をめぐり始めたわけですね。
宮田珠己は一人てくてく、お遍路道を歩いて行きます。
トラックがビュンビュン通る国道は歩いていて楽しくないとこぼし、
足のマメが痛いと泣き、
変わったお寺に遭遇して驚愕し、
ヒマラヤに似ている風景にうりゃうりゃし(←宮田流高揚感の表現)、
出会ったお接待に感謝し、
喋りが過ぎるお接待には辟易し、
カヌーや温泉などの観光も愉しみつつ、
ついうっかりがんばって歩きすぎたりしてしまう。
その過程で見るもの聞くものに、時にツッコミ、時にボケ、時に真面目に考察する。その自在さ、そしてユルさが宮田珠己の芸風です。そこを愉しんでいただきたい。
その信仰心のなさを前提にするのであれば、これは実際にお遍路をしてみようかと思っている人にもけっこう参考になる内容だと思います。わりと実用的だと思うんですよね。ガイドブックとしてはもっと専門的な本がいろいろあるんだろうけれども、実際の旅行中の心境と事実が参考になる。事前に一読をおすすめします。
「ジェットコースターにもほどがある」
ジェットコースターにもほどがある (集英社文庫) [ 宮田珠己 ]
このタイトルを見るたびに、むしろアンタにほどがあるよ。と言いたいわたし。
宮田珠己はジェットコースター(正確には絶叫マシン)が好きだそうだ。好きだからアメリカに乗りに行ってしまったそうだ。まあ好きだったら遊園地の1ヶ所や2ヶ所に行くのは驚かない。
だがこの本では、都合何ヶ所で何種類に何回乗ったかは知らないが、最初から最後までジェットコースターに乗りまくっている。
これはアメリカジェットコースター満喫旅行の相方となった「西島君」の存在が大きい。宮田だけならがここまでジェットコースター漬けにもならなかっただろうが、ネットで知り合ったフリークの西島君は高校生で、高校生の体力と行動力で一秒でも惜しいとばかりにジェットコースターに乗りまくるのだ。
宮田も西島君のフリークぶりには負ける。西島君はジェットコースターの解説も詳細にやってくれたりして役に立つ。宮田と西島君とカメラマンの川本さんとの珍道中。
という旅が前半。後半は市川さんというまた別のフリークを相棒にしてアメリカを旅する。ジェットコースターの本場はなんといってもアメリカだそうです。
わたしは自分ではジェットコースターには乗ろうとも思わない方ですが、この本で載った気になって面白かった。いやー、ジェットコースターにもいろんなタイプがあるんですねえ。立ち乗りタイプがあるとは思わなかった。いったいどういうことなのか。力学的に大丈夫なんだろうか。
この本を読み終わった直後だと、自分もジェットコースターにいっぱしの知識を持ったような気になり「ニトロ(←ジェットコースターの固有名詞)はねえ……」とかうっかり語りだしそうになって危ない。
「ふしぎ盆栽ホンノンボ」
ホンノンボとはなんでしょう。
これが言葉で説明されるとなかなかピンと来ず、写真を見ると直感的にわかるという「百聞は一見にしかず」を地で行く物体なのであった。
ホンノンボとは、ベトナムにおける盆栽ごときもので、
面白い形の石を風景に見立てて箱庭風に並べ、
そこに植物を植えこんだり、ミニチュアの人形を並べたりし、
蓬莱山の風情を再現する。
というようなものと思われる。
こう読むと風情のある、それこそ日本の盆栽のようなものをイメージするだろうが、メインは植物ではなくて岩。そして一番違うのはミニチュアの人形。実はこのミニチュアの人形が曲者。クオリティの高いものも中にはあるが、けっこうな多数がユルくいい加減に作られており、それを載せることで幽玄な蓬莱山の風情が、一気に子供が面白がって並べたようなお遊び感に替わるのだ。
日本人が山ほどベトナムに行っているなか、ホンノンボに目をつけたのは宮田珠己が初めてではないでしょうか。これこそまさに宮田自身のユルさがホンノンボのユルさに共鳴した結果の、運命の出会いと申せましょう。
こんな面白い本を絶版にしておくなんて、間違っているぞ、講談社。
「晴れた日は巨大仏を見に」
巨大仏。と聞いてどんなイメージが湧くだろうか。東大寺や鎌倉の大仏。まずはそこだと思う。
あるいは外国にあるような巨大な石壁に彫られた仏像彫刻とか。
この本で取り上げられている巨大仏というのは、前述したようなマトモ路線ではなく、ここ数十年で(というより数十年前に)昭和初期からバブル時代あたりまで)日本各地に作られた、「一体なんだってこんなもん作った?」と9割の人が思うような仏像。
たとえば日本最大の大仏としていい意味でも悪い意味でも名高い牛久大仏。120メートルあります。この120メートルがどのくらいの大きさというと……ニューヨークの自由の女神が40メートルといいますから、そのただならぬ大きさがイメージできるのではないかと。
宮田珠己は酔狂なことに、こういう巨大仏を日本国内十何ヶ所訪ね回りました。スタンスは、そのキッチュさを楽しむため。ぬっと出た巨大仏の唐突性を味わう。中に入れれば、内部の迷路性を楽しむ。
またこれらの旅の同伴者もヘンな人たちで……。
担当編集者は前半はモーリス袖山さん、後半はグレートマジンガー和久田さん。類は友を呼ぶというか、朱に交われば赤くなるというか、この2人組、あるいは3人組で喋る内容がヘンでシュールで面白い。
宮田珠己は赤瀬川源平の系譜に連なる人だと思う。
上記4冊を挙げましたが、それ以外にももっと言い回しの可笑しさの上回る、「わたしの旅に何をする。」とか「なみのひとなみのいとなみ」など、初期作品も面白いので気に入った人は読んでみてください。
「ふしぎ盆栽ホンノンボ」を初めて読んだ当時、わたしは赤瀬川源平さんを連想しました。彼も見えているのに誰も気づいたことのないものを見つけ出す人だった。宮田珠己もそんな複眼的視点を持っている。
その後、ホンノンボ、巨大仏の魅力は世の中の一部にほんのすこーし定着しました。
ちなみに宮田珠己の最新文庫はこれです。ついこないだ出たばっかり。
いい感じの石ころを拾いに (中公文庫 み53-1) [ 宮田 珠己 ]
まだ読んでませんが、これも気になります。わたしも旅先でいい石があったら拾ってきちゃう方なので。
そのうち行ってみよう……
「晴れた日には巨大仏を見に」を読んでいるうちに、宮田珠己お気に入りの仙台大観音に行ってみようかなーと思うようになりました。そもそも本にも書いてある通り、地元住民はあれを見ないようにして暮らしており、基本的には意識の外へ追いやっています。
が、今サイトを見て来たところ、内部が思ったよりちゃんとしていて仏像も良さそう……。長い間無視していたけれども一度行ってみるかー。宮田珠己は仙台大観音を、マヌ景(マヌケな風景)第一位にあげています。まあ地元民としては本に載っていたよりもマヌケなアングルがあるけどね。
そのうち行ってみようと思います。ちょっとコワいけど。なんだか突然宇宙に向かって飛び立ちそうで。内部にいる時にそんなことになったらどうすればいいんだ。
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