おそらく「知っている有名画家を5人挙げてください」というアンケートをとったら、半分以上の人はモネやゴッホなど、全員外国人の画家の名前を挙げるのではないでしょうか。
日本では、日本画より西洋絵画の方が人に知られている気がする。じゃあ日本画の有名画家って誰?答えようとしてふと迷います。
日本画とはなんでしょう。
それの対義語は洋画?
洋画と西洋絵画って違うもの?
日本画の定義はあいまい。
日本画の定義は――非常に曖昧らしいです。徳島県立近代美術館のページにも「一番難しい質問」と書いてありました。
日本画を一番シンプルな言い方をすると、
日本画=従来日本で使われて来た技法で描かれた絵画。使用画材は岩絵の具、墨、紙、絹、筆。
ということでいいかと思います。
……と、わたしは思うのですが、厳密にいうと、
「西洋絵画という存在が入ってくる前には日本画という区別はなかった」
⇒だから日本画とは呼ばない、という立場もあるそう。
逆にすごく範囲を広げた解釈では「日本人が書いた絵は全て日本画だ!」
という立場もあるそうです。これはわたしはちょっと広げ過ぎだと思うが……
村上隆あたりは微妙な分岐点に立っているアーティストかもしれませんね。日本人だし、日本美術であるとはいえると思う。日本画科を卒業して日本画の濃厚な影響を受けている。が、日本画ではないですよね。
「雪月花」といういかにも日本的なテーマで作品も描いています。これは大分県湯布院のコミコ・アート・ミュージアムにあるもの。
でも実際に見て日本画という印象ではありませんでした。
日本画と洋画、西洋絵画の違いって?
わたしのざっくりした理解でいえば、
日本画――日本で歴史的に描かれ続けて来た絵。日本古来の描法を使う。平面的。主に岩絵の具をニカワで溶いた顔料、あるいは墨を使い、紙や絹に描く。
洋画――日本人が西洋画の技法を使って描いたもの。主流は油絵。
西洋絵画――欧米諸国の人が描いた絵画。油彩、テンペラ、フレスコなどの技法を使う。ルネサンス期以降のものは立体的。
わたしは言いたい。明治以降などというケチくさいことを言わずに、飛鳥時代の壁画から現代まで、墨や岩絵の具、染料などを使った絵はみんな日本画と呼んでしまいましょう!この際だから浮世絵などの版画も含める!
日本画の有名画家って?
そう考えないと、たとえば尾形光琳なども日本画の有名画家に選べなくなってしまいます。
狭い意味での日本画で考えると明治以降のものなので、そうなると日本画家も全員明治以降の人。もっと歴史的に長期スパンで挙げたいじゃないですか。もっとも浮世絵を日本画と呼ぶことには若干の抵抗がありますけどね。
版画は版画で、またちょっと違う気がするけど、日本美術における絵画、それも伝統的な技法で描くもの全体のことを呼ぶ単語が欲しいです。これはやっぱり日本画と呼ぶしかないんじゃないですかねえ。
最初の日本美術はだいたいのところ仏教関連。お寺だったり、仏像だったり……絵も仏画、曼荼羅が多いですね。画家として個人の名前が残っている人は少ない。
初期で有名な一枚の絵といったら、あの「聖徳太子像」でしょうか。描いた人は阿佐太子といわれていますが、実在の人物かどうか信憑性がない。細かく言えば百済の王族なので、日本人が描いたという広い意味での日本画にあてはまるかも微妙。
有名な画家として最も遡れる人といえば、誰でしょう?わたしは多分この絵を描いた人じゃないかなーと思います。
(伝)藤原隆信。
歴史の教科書で源頼朝の肖像として出て来ましたよね。これは近年では「伝源頼朝像」ということで、頼朝かどうかははっきりしないといわれているらしいです。足利直義(足利尊氏の弟)という説も。
描いた人は藤原隆信。……と昔は言われていたのですが、これも近年は藤原隆信が描いたものじゃないらしいと変わったようです(涙)。
でもこの絵を描いたかどうかは別として、藤原隆信は画家。1200年過ぎに亡くなった人で、貴族で歌人でもあった人です。その息子・信実も画家で、この家系は以後画家の家系としてしばらく続くそうです。一応、この人が日本画家の(有名といえる)最初の一人かと。
雪舟。
藤原隆信はぎりぎり判定ですが、文句なく日本画の画家で有名な最初の一人!と言ったら、雪舟。涙で描いたネズミのエピソードで有名ですね。
亡くなったのが1500年過ぎ。「日本画家列伝」などという本が出れば、わたしは最初のページはこの人なんじゃないかなーと思います。
「秋冬山水図」。これが一番有名かもしれません。
これは真ん中の縦線がヘンで記憶に残る絵です。線の右側は……これは、岩?こんな線をよく描こうと思ったなあ。という意味で印象に残る絵。
「慧可断臂図」これも有名ですね。
雰囲気的に少々ユーモラスな絵にも見えますけど、実はこの絵の場面はかなりエグいもので……。
中央の人物は達磨です。ダルマさん。達磨は修行のために9年間壁に向かって座禅を組み、そのため手足が腐ってしまい、あの丸いダルマさんの形になったとの俗説があります。
それだけでもエグい話ですが、この絵では左下にもう一人いて、これが慧可(えか)という人。慧可は達磨に弟子入りを願い、それを断られると自分の覚悟を示すために、臂から腕を切断して差し出したそうです……。そんなことされて、達磨さんはいい迷惑だったのではないかとしか思えませんが。
よく見るとたしかに慧可は切断した腕を持っているんですよね。あまり目立たないように描いてあるけれども。その熱意が認められて、慧可はめでたく達磨の弟子になり、後にはその教えを継いだそうです。片腕は失ったけれども、本望だったでしょう。
狩野永徳。
狩野派は日本の絵画を、時代を越えてリードした主流派絵師集団。何百年にわたって続きます。しかしみんな狩野で覚えにくいから、とりあえずは狩野永徳・狩野探幽だけ覚えておけばいいんじゃないかと思う。
狩野永徳は1590年に亡くなった人。関ヶ原の10年前まで活躍してたんですね。信長、秀吉に気に入られ、安土城や大阪城の障壁画もこの人が中心となって相当描いたらしい。しかしどちらも焼け落ちてしまったので残った作品は少ないと。もったいないですね。
狩野永徳「唐獅子図」
狩野永徳の作品でこれが一番インパクトのある絵なんじゃないかと思います。だからといって、これが永徳の画風!決定版!ということも出来ないのが日本画のつらいところ。
日本画ってわりとどんなものでも描くみたい。頼まれれば。
なので、より繊細な表現の「聚光院豊穣障壁画 花鳥図」。
のようなのも描いているし、あるいはこんな派手な屏風も描きました。
「洛中洛外図」(右隻)
「洛中洛外図」は京都の風景を広い範囲で俯瞰したものなので、いろんな人が描いているらしい。偉い人から偉い人への贈答品として使われたようです。
「洛中洛外図」として今まで見つかっているものだけでも170枚くらいあるとか。そのうちの多くは描いた画家の名前がわからないそうです。
この3枚を見て、同じ人の作品だと思えるかどうか。まったく作風が違うし。わたしは無理です。
ヨーロッパの画家もそうでしたが、狩野永徳も狩野派の親方(?)として大勢の弟子を抱え、おそらくはプロデューサー的な位置で制作したんだと思います。
狩野探幽。
狩野探幽は狩野永徳の孫。関ヶ原のすぐ後に生まれています。
わたしは狩野派の中でもっとも活躍したのは探幽だと思っていて、(永徳か探幽のどちらかという点では議論の余地もあるでしょうが)……でも今、代表作を探しても「ああ、これね」という見覚えのある絵がない。
あ、これかな。
「徳川家康像」
家康像も複数あるでしょうが、これが一番立派に描かれたものかもしれません。
他の絵はどうもピンとこない。長らく探幽の作だと言われて来た二条城大広間の「松鷹図」は、狩野山楽の手になるもの、ということで決着がついた模様です。
「松鷹図」が探幽ではないとすると、狩野派の一大巨頭は永徳でしょうか。探幽は繊細優美な小品が多いのかもしれない。
その後、多くの日本画家が活躍します。
ここでは有名画家として
(伝)藤原隆信
雪舟
狩野永徳
狩野探幽(活動時期は江戸初期)
の4人を挙げてみました。
たった4人!?ではありますが、最初の頃ってこんなものかなと思います。歴史の最初の方は、個人の名前で絵を描く時代ではなかったんですよね。絵は個性の追求ではなかったし、集団で仕事を請け負うという形態のせいでもあったでしょう。
しかし桃山時代以降、活躍した画家は一気に増えます。
わたしが思う、ここに続く「有名な日本画家」は以下の通り。
長谷川等伯
俵屋宗達
曾我蕭白
尾形光琳
円山応挙
長澤芦雪
伊藤若冲
酒井抱一
鈴木其一
喜多川歌麿
葛飾北斎
歌川広重
歌川国芳
東洲斎写楽
川瀬巴水
河鍋暁斎
菱田春草
横山大観
下村観山
竹久夢二
竹内栖鳳
鏑木清方
上村松園
棟方志功
安田靭彦
奥村土牛
東山魁夷
平山郁夫
加山又造
千住博
こう並べてみると、かなりいっぱいいますねー。
日本画の有名画家としてだいたい妥当なところを挙げたつもりではいますが、当然入るべき人が抜けているということはあるかと思います。その点はご容赦を。
ちなみに、そんなに好きじゃないけど入れるべきだろうなーと思って入れた画家が6人います。有名じゃないかなと思いながらも好きなので入れてしまった画家が1人います。誰でしょう?
日本画は、目の前の一枚を楽しむ。
うーん、やっぱり日本画いいなあ。昔は西洋絵画にしか興味がなかったのですが、だんだんと日本画も好きになって来ました。
日本画は西洋画と同じ見方をしなくてもいい気がする。特に誰の作品というのを意識せず。
というのは、区別しよう、作家を覚えようと思うことが日本画を見ることの妨げになっているかもしれないと思うから。いいじゃないですか。誰が描いたものであっても。
ゴッホの絵はゴッホの人生を知った上で見る方が楽しいけれど、日本画はシンプルに目の前の一枚を見ればいい。その色を、その余白を、その線を、その可愛さを楽しめばいい。
そんなユルさで、今後も日本画を楽しんでいきたいと思います。
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