気になる一枚がある画家を見てみました。今回は菱田春草です。
菱田春草。朦朧体を始めた画家。
読み方はひしだ・しゅんそう。1874年生まれの日本画家です。岡倉天心の弟子で横山大観の盟友。ともに朦朧体という新しい日本画の描き方を模索し、当時の画壇からは強く反発されました。
朦朧体は別名を没線描法・無線描法といいます。「線」で描き、それに色を塗るものであった伝統的な日本画の描き方ではなく、線を描かず色を塗り重ねて表現する新しい描法でした。
「朦朧体」という言葉は、そもそも「あんな朦朧とした絵などダメだ」という悪口として言われたらしいです。「印象派」を思い出しますね。印象派という言葉も、元々は「あんなの印象だけで描いたくだらない絵だ」という批評家の悪口から発生したものだそうですから。現在、朦朧体も同じような経緯をたどり、美術用語になっています。
短い活動期間のなかで、最上の表現を模索した。
春草は21歳で東京美術学校を卒業し、22歳で画家として独立、36歳で亡くなりました。短い活動時期。その間に朦朧体を始めとする多くの新しい技を試みます。
簡単にその変遷をたどると、
狩野派の流れを組む師匠や教師による日本画の基礎の習得
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古い仏画の模写の仕事を通じて技量を磨く
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朦朧体による絵画表現の追求
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インド・アメリカ・ヨーロッパ旅行、鮮やかな色彩への目覚め
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大観、春草をはじめとする岡倉門下への風当たり、茨城県五浦への「都落ち」
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朦朧体と線との両立
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晩年、琳派への接近
あくまで私見ですが、こういうことになるかと思います。
菱田春草の作品。
「寡婦と孤児」。
もし最初に菱田春草の絵に出会うのであれば、ちょっとこの絵は不向きかもしれないと思いつつ……。こういう不気味な絵ばかり描いていたわけではありません。春草の画業のなかではかなり初期に位置する、東京美術学校の卒業制作。
Hishida Shunso - Catalogue Asahi Club, パブリック・ドメイン, リンクによる
この絵は波紋を呼んだ絵だそうです。前述の通り東京美術学校の卒業制作として提出された絵なのですが、これをめぐって当時の教授陣が大論争。
橋本雅邦が最優等と評したのに対して、図案科・美術史教師の福地復一は「化け物絵」と貶して落第にするべきと主張したそうです。結局校長である岡倉天心の裁定でこの絵が最優等を取ることになるのですが……
福地復一は、のちに岡倉天心が東京美術学校の校長を辞任することになった事件の黒幕ともいわれますから、春草の絵自体に対する評価というよりは、すでにどこかの誰かと戦っている気配はありますね。ある学生の一枚の絵を、片方は最優等に推し、もう片方は落第とまで主張する。これはどう考えても極端。すでにここから利害の対立があったことと思われます。
「水鏡」
Hishida Shunso - Catalogue Asahi Club, パブリック・ドメイン, リンクによる
まだ朦朧体には行かない頃の、線を使って描いていた絵。
天女が水鏡に自分の姿を映して、容色が衰えて行くことに気づいたところを描いたそうです。衰えて行く容色は紫陽花の花で象徴させているのだとか。(紫陽花=うつろいゆく美)。うーん。それはわからん。言われなければ。
西洋画だったら確実に水鏡にドクロを描くところですけれどね。日本の文化は総じてほのめかすことを良しとするけれど、ここを読み取れというのは儚すぎないだろうか……
「王昭君図」
Hishida Shuns? (1874-1911) - http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=90193, パブリック・ドメイン, リンクによる
この絵が菱田春草、朦朧体時代のこの一枚!ということになるんじゃないかなあと思います。
朦朧体が批判された点に、色が混濁していることがあったようなんですよね。その暗い雰囲気が嫌われた。
この絵では明るい色を使い、その部分については若干対応しているような気がする。しかしわたしとしてはこの顔色の悪さがどうも……。むしろ衣装はもう少し鮮やかさがなくてもいいから、顔色を明るくすればこの絵の人気はぐっと上がったのではないだろうか。
でも画題が「王昭君」ですから、素直に明るくも出来なかったかも。王昭君は中国の歴史上の女性で、中国四大美女の一人と言われます。悲劇の女性として伝わっており、この絵も蛮族の王に嫁ぐために旅立つところなので、明るいシーンではないんですよね。だからといってこんなに顔色を悪くしなくても良かった気がしますが……
「落葉」(文展)
Hishida Shunso - Catalogue Asahi club, パブリック・ドメイン, リンクによる
わたしが菱田春草で一番好きなのはこれです。
WEB上で見るとだいぶ物足りないですが、テレビで見た時はとても素敵な絵だと思いました。この静けさが。わずかな温かさが。本人が意識していたとは思わないけれど、長谷川等伯「松林図」の遠いこだまを感じさせる。
ネットではよーく見ないとわかりませんが、左隻の右下辺りに雀っぽい小鳥が描かれています。色合い的に雀ではないんだろうけど。実際に見る時にはこの小鳥を見てみたい。
この絵を描いたのは画家の晩年近く。春草は慢性腎臓炎が進行し絵筆が握れなくなった時期がありました。しかし療養して復活し、2年ほど創作活動を行なってから亡くなります。その2年の間に病後とは思えないほどの枚数を制作する。
「落葉」はその頃散歩に行っていた代々木の雑木林(当時は田舎だったそうです……)をモチーフにしたもの。繰り返し繰り返し描き、タイトルも同じ「落葉」という作品がたくさんあるようです。「落葉」(文展←文展出品作)、「落葉」(福井←福井県立美術館にあるから)など、所蔵場所などで区別するようです。
まあ区別がつけられる状態ならばまだ良い。モネなんか「睡蓮」を200枚以上も描いたもんだから、少数を除いてはもはや区別がつけられない。
「黒き猫」
Hishida Shunso - Eisei Bunko (now at Kumamoto Prefectural Art Museum, Japan), パブリック・ドメイン, リンクによる
死の前年に描かれた作品。文展に出品する予定だった全然別の絵がうまく描けず、急遽代替として仕上げた小品だったとか。耳が般若のツノみたいになっている。カワイイというよりは若干コワイが、猫っぽい魅力がありますよね。
「落葉」の画家。
菱田春草は「落葉」以外ほとんど知らない画家だったので、今回ある程度の絵を本で見て、興味を持ちました。画業の後半の絵が好きだなー。朦朧体の初期はそんなに好きになれない。でも朦朧体と日本画らしい線を融合させたあとの絵は好きでした。
うがって考えれば、春草も一般受けする絵がわかってきたということかもしれません。常に先鋭的に画業を追求するというのは芸術家の理想の姿ではあろうけど、ある程度スタイルを確立しないと売れない。ある一定期間ごとに作風をがらりと変えて成功したのは、もしかしたら古今東西ピカソくらいかもしれません。
菱田春草はこの本を読みました。
もっと知りたい菱田春草 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
最初手に取った時はちょっとボリュームが足りないかなーと思った本ですが、内容を読むとわかりやすくまとまっていて、1冊目としておすすめ。
実は最初パラ見した時は、菱田春草は全体的にはあまり好きじゃないかもしれないと思いました。しかしこの本でその人生と芸術の流れを追っていくと、パラ見した時よりも好きだと感じる絵が増えました。
知ることすなわち愛すること。