本を読むこと

◎「おくのほそ道」をあっさり楽しむ方法。

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国語の教科書に(多分)必ず載っている「おくのほそ道」。教科書で読んだだけで縁が切れてしまう人が多数派だと思います。

しかし「おくのほそ道」って本文は意外に短いです!文庫本(岩波文庫)でわずか60ページほど。え?たったそれだけ?

そんなに短いなら、気が向いた時にさくっと読んじゃいましょう。読まない善より読む偽善。(←意味不明)

 

俳句ってとっつきにくいですが。

俳句は日本固有の文学と言われており、芭蕉はその俳句を芸術まで高めたとして俳聖と呼ばれています。……しかしそんなことはどうでもいい!

実はわたしも俳句はどっちかというと苦手です。もったいぶっているというかスカしてると感じる。言葉を短く切り詰めた結果、ぱっと見で意味が分からないことが多い。そこを「わからなければダメだ!」と思うと途端につまらなくなる。

わからなければわかるように書かない作者が悪い!

20や30、わからないまま読んでいるうちに、1つ意味がわかるものが出て来ます。わかる俳句に20も出会うと、1つくらいはちょっと好きかなと思えるものが出てきます。こういうのを1つ1つ集めていくと、ちょっと俳句に馴染みが出てきます。そのくらいで充分。

人間だって出会う人出会う人全てを好きになることなんてないのに、ましてや創作物においておや。

 

「おくのほそ道」には特にハデなストーリーはありません。

「おくのほそ道」は紀行文です。

芭蕉が住んでいた江戸・深川から現在の埼玉、栃木、福島、宮城、岩手、山形、秋田、新潟、富山、石川、福井、滋賀、岐阜と、13県をおよそ150日で旅行した記録です。5ヶ月!2400キロメートルだそうです。

2、3泊した場所もいくつかあるようですが、ほとんどの場所は1泊。移動の時は1日20キロ以上歩いた計算になりますね!昔の人は歩くしかなかったとはいえ、ほぼ毎日20~30キロ歩くのは大変です。場所によってはけっこう山道。

 

芭蕉隠密説?

……こう書いてみて改めて不思議に思ったのですが、なんで芭蕉はこんなに強行軍の旅をしたのかな?

芭蕉がおくのほそ道の旅をしたのは46歳の頃でした。うーん、46歳かー。当時の年齢感は現代よりも上だと思うので、初老に入った頃でしょうか。「おくのほそ道」の冒頭の文章が老人っぽいのでもっと上だと思っていました。

そして、同行した弟子の曾良が41歳であったのがとても意外……。曾良は芭蕉よりもずっと若かったと思いこんでいた。主に体力的な面のサポートかと。そんなに年齢は違わないんですね。

俳句を作るために風光明媚な風景を巡る旅であるのなら、もう少しゆったりした気分で旅した方が得られる句は多かったのではないかと素人考えでは思いますが、どうでしょう。移動、移動、また移動、の旅ではそんなにゆっくり立ち止まってもいられない。芭蕉がずっと楽しみにしていた宮城県の松島でさえ1泊しかしていません。

旅が長くなると旅費がかさむということはあったでしょう。しかしそれこそ何日か逗留して句会を開けば、かなりお金は入って来た気がします。芭蕉は日本中に門人がいる、当時の有名人だったはずですから。

……そうなるとちまたで噂される「芭蕉隠密説」とか気になって来たり。わたしはトンデモ路線に寄らないように自戒してはいますが、実は嫌いな方ではないので「芭蕉の旅には何か他の目的が……」などと考えてしまいます。特に曾良が後年、幕府の巡検使随員になったなどと聞くと余計……。いや、でもトンデモはきりがないからたいがいにしよう。

 

表現を愉しむ。

60ページですから、最初から普通に読んでいっても多分ゴール出来ると思いますが、なんだったら面白そうなところだけをつまみ食いでもいいと思います。

「おくのほそ道」は、ストーリーでここ!といったところがある作品ではありません。どう読むのが一番いいかというと、「美しい文章を探して、そこを音読する」です。内容よりも表現を味わう。

わたしのイチオシは「序段」と「平泉の段」です。「序段」は教科書に載っている有名な文章ですね。

※原文そのままを尊重すべきだとは思いますが、とっつきにくくなってしまうので、引用は読みやすい文章に変えています。

序段のいいところ。

月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。

これねー。教科書で見るだけでは面白くもなんともない(?)文章なのですが、声に出して読むとすっきりします。言い切りがかっこいい。なにしろ冒頭ですから、芭蕉さんは推敲に推敲を重ねて現在の形にしたと思います。

日々旅にして旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。

この段の後半は文章が長くてあまり好きじゃないのですが、好きなところだけ抜き出せば良し。

この場合の「古人」はいにしえに生きていた歴史上の人物で、芭蕉さんが憧れていた人々のことです。筆頭は平安時代の歌人、西行法師。西行は百人一首にも歌が載っています。芭蕉はこの人に憧れを持っていました。

春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂わせ、道祖神の招きにあいて取るもの手につかず、

芭蕉は春のうちに(福島県の)白河の関を越えたいと思っています。そうでないと冬に雪国を通ることになって、大変苦労することになりかねません。なにしろ長い旅行ですから。

上記の一節は、つまり「旅がおいらを呼んでるぜ」ということを(多少)格調高く表したものです。

「おくのほそ道」の旅に出るにあたって、芭蕉はそれまで住んでいた家を引き払っています。当時の旅は今よりもはるかに危険度が高く、長旅に出るには相当の覚悟をしていかなければならなかった。まさに「古人も多く旅に死せるあり」。

結果的に旅の期間は5ヶ月でした。が、芭蕉はその後すぐは江戸へ帰らず、伊勢参りに行って、故郷である伊賀上野(三重県伊賀市)へ行って、その後京都を中心としてあちこちに移動し、江戸へと戻ったのはそのおよそ2年後でした。

この長さに「むしろ芭蕉は旅で死にたかったのではないか」という想像もふくらみます。もう江戸へは戻らないつもりで旅立ったのではないかと。少なくとも「戻ってこないかもしれない」という覚悟はしての出立だったと思います。

見知らぬ土地、いにしえの人々への憧れと、長い旅の覚悟。その情熱をさりげなく静かに表したかった――序段はそういう芭蕉の心の動きを感じます。

平泉の段のいいところ。

「おくのほそ道」=平泉、といえる!と思うほど、平泉の段は名文です。特に前半。これは声に出して読むしかありませんよ!

三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。

一行目はせき込むように始まります。前口上なし。いきなり本題。芭蕉がここをいかに語りたかったのか、が感じられる部分。

「三代の栄耀」というのは鎌倉時代に入る直前まで、この地に勢力を張っていた奥州藤原氏のことです。藤原清衡・基衡・秀衡と栄華を極め、4代目の泰衡の時に源頼朝に攻められて滅びました。栄耀は「えよう」と読むのがミソ。

藤原氏はおよそ90年にわたってみちのくを治めました。なので「一睡のうちにして」というのは誇張表現なのですが、過ぎ去った過去の儚さでもある。何事も過ぎてしまえば一瞬の夢。

大門の跡は一里も手前にあったということですから、栄えていた頃の平泉の規模が想像されます。「秀衡が跡」は三代目の藤原秀衡が作った豪華な居館、寺院のことで、そこが今では寂びれて田んぼになっている。

金鶏山というのは平泉にある山で、三角形をしています。それほど高い山ではありません。この山の頂上には金の鶏が埋められたという伝説があり、その宝探しの過程で円筒型容器に詰められたお経が発見されました。発見は1930年のこと。

さても義臣すぐってこの城にこもり、功名一時の叢(草むら)となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打ち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

平泉は源義経が最期を迎えた地です。頼みとする藤原秀衡の死後、その息子の泰衡に裏切られて。芭蕉は義経が好きだったんですよねー。

義経を慕ってつき従って来た家臣たちは、勝ち目のない戦いでも奮戦しました。義経の家臣はほんの数人しかいなかったのです。みんな、攻めよせて来た泰衡の軍勢を相手に討ち死にしました。

中国の杜甫という詩人が作った「春望」という詩があります。「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という詩句で始まる、この詩も教科書によく載りますね。ここから引用しています。最後を「青みたり」と変えるのは芭蕉の表現の工夫だと思う。

被っていた笠を敷いて座って、長い時間泣いたとのこと。実際に泣いたかどうかはわかりませんが、泣けるほどの哀惜を感じた芭蕉の心でした。滅びしものを惜しむ気持ちは日本人特有の心情なのでしょうか。判官びいきという言葉もありますね。まさにこの義経が判官ですから。

ちなみに「判官びいき」を英語で調べてみると、

sympathy for a tragic hero(悲劇的英雄への共感)

は良いとして、

side with the underdog(負け犬の側)

はダメだろう!と思う。underdog(負け犬)という語感がね……。これでは判官びいきの感情が表せないのではないでしょうか。

夏草や 兵どもが 夢の跡

は、わたしが芭蕉で一番好きな俳句です。それでもこの意味はあまりよくわからなくて、いつもこの「夢」はどういう意味なのだろうなあと思います。儚いという意味なのか。

わたしはどうしてもここは誰かに夢を見て欲しくて。義経が自分の平穏を、夢見るような眼差しで願っていたのか。あるいは代々の奥州藤原氏がこの平泉の地に夢見た平和な世のことか。

芭蕉の辞世の句にも「夢」は出てきます。

旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る

……芭蕉というこのおっさんは、意外にロマンティストだったのかもしれない。どうしてもスカしてるというイメージがあるのですが。ロマンティストのおっさんは好きです。

 

わずか60ページ。あっさり読めます。

わたしは「おくのほそ道」を岩波文庫で持っていますが……


おくのほそ道: 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 (岩波文庫)

これねー。岩波はねー。ものすごく広い範囲を出版してくれているのはありがたいのですが、活字が小さいんですよねー。長年思っていますが、いい加減、岩波はもっと大きい活字を採用するべきではないのか。その方がとっつきやすいと思うなあ。わたしは中公か文春くらいの活字が好きです。

でも古典名作は岩波で揃えるという選択肢もありますよね。同じ文庫の方が並べて楽しいから。そこまで見た目を重視したくはないですが、全部バラバラというのもちょっと残念。

ちなみに「おくのほそ道」は現代語訳だけを読んでも意味がないので、なんだったら意味がわからなくても原文だけを読んでもいいくらい。とはいえ、意味がわからない状態で読んでもツライので、現代語訳は一応載っているものの方がいいかなあ。

岩波文庫には現代語訳はないけれども「奥細道菅菰抄」という有名(らしい)な「おくのほそ道」の注釈書が掲載されています。しかしこの注釈書、はっきりいって「おくのほそ道」の本文よりも難しい……。わたしは読めてません……

漢字カタカナ交じり文で、読みにくいんですよね。まあこれは「奥細道菅菰抄」「曾良旅日記」も古典作品として収録したということでしょう。わたしもいずれ根性が出たら読みます……

「おくのほそ道」は読み上げ推奨!

声に出して読むと、味わって読んでる!という気分が盛り上がります。そんなに大声で読まなくてもいいですが、好きなところを何度も読んで、出来れば暗唱できるくらいまで読むと楽しい。名文は読んで楽しいものです。暗唱できるものが少しずつ増えていくのも楽しい。

「おくのほそ道」の本文はネット上でいろいろなページを拾えるので、気軽に読んでみるといいと思います。

わたしがおすすめしたのは序段と平泉の段ですが、他にも読み上げて楽しい部分があると思います。お住まいの場所が「おくのほそ道」のルートに当たっている方は、ご近所について書いてある部分を読むのも楽しい!おすすめです。

 

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