イタリアの旅の話/1995

◎観光客のジレンマ。イタリアの旅の話・その12。

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アカデミア美術館のあとは聖マルコ広場へ戻ります。
海洋史博物館、アカデミア美術館とずっと歩き回り系の施設が続いたのですっかり疲れた。ここで一休み。カフェ・フローリアンへ。

 

歴史あるカフェ・フローリアン。

聖マルコ広場にあるカフェ・フローリアンは1720年創業。日本でいうと暴れん坊将軍である(?)徳川吉宗が将軍になって4年目くらいですか。去年がちょうど創業300年でした。

豪華な内装を味わいに行くところです。レストランに比べたら値段的にもお手軽だし。金のきらびやかな壁の装飾と赤いビロードの椅子がザ・ヨーロッパ!という感じ。お店の人は白いジャケットに蝶ネクタイでうやうやしくサーブしてくれる。われわれが頼んだものを載せて来る銀のお盆の巨大なこと!わたしの考察ですが、銀のお盆のサイズって店の格式と比例するのではあるまいか。

チョコレートとティラミスを注文しました。値段がいくらだったかは忘れた。味も忘れた。ただチョコレートとティラミスという組合せは相当くどそうですね……。今さらながら。

フローリアン製の紅茶を買って帰ったことを覚えている。紅茶好きなんです。缶が可愛かったんですよねー。ネイビーブルーの地に「CAFE FLORIAN」とかなんとか書いてあるの。レースのデザインを取り入れたエレガントなデザイン。いい記念になります。

 

観光客のジレンマ。

こういうところにはヨーロッパを味わいたい観光客が行くわけで、お客さんは日本人が多かったですねー。お店の人はみんな感じよかったけれど、こうやって押しかけちゃうのが(自分も含めて)申し訳ない気がする。

世界のどこでも同じですが、人を惹きつける場所なり、祭なりというのは全体の雰囲気が人を惹きつけるわけじゃないですか。が、その魅力が伝われば伝わるだけ、本来はいなかった外国人が増えて雰囲気が変わってしまう。そういうジレンマはあるかなと思う。

ヴェネツィアでいえば、有名なカーニバルがまさにその悩みの渦中にあるらしい。観光客が増えた結果、仮装をする外国人の参加も増えて雰囲気が変わってきているそうです。昔ながらの伝統的なカーニヴァルを守ろうという動きもあるそうなんですよ。

観光客としてはそこで仮装をしたい気持ちはよくわかる。ものすごくわかる。憧れる世界に溶け込めたら幸せじゃないですか。でも地元の人の気持ちもわかる。こういう伝統行事の場合、微妙な点があると思います。

はっきりいえば見た目の問題。カーニバルの衣装を着た人の多くがアジア人になったら、やはりヴェネツィアのカーニバルとしての興趣を削がれる気がする。おわら風の盆で踊っている人の多くが外国人になったら、やはり違うものになってしまうだろう。

人は人種によって差別されるべきではない。でも実際の運用では時々単純にはいかない。飲食店が人種によって入店を断るなどということはあってはならないことですが、来る人をみんな受け入れた結果、過半数がアジア人観光客という状況になるわけです。

でもそれに遠慮して行かないというのも違うしなー。雰囲気を壊すことを心配して行かないというなら、世界のどこにも行けなくなってしまうでしょう?でもみんなが行けば観光客ばかりになって……。なかなか難しいことよ。悩ましい。

と、店内を見回しつつ観光客であるわたしは思ったことでした。

京都の三年坂付近で浴衣を着た観光客の鈴なりを見たことがあります。アジア系の顏は見ただけでは判断できませんが、多くはアジア人観光客だったんじゃないかなと思う。近年、浴衣のレンタルと着付け、その辺を2、3時間散歩できるというのがセットになった商売が人気のようなんですよね。値段も妥当だし、人気なのはわかる。わたしも機会があったらやりたいくらい。

だがマイナス点もある。人が多すぎるという点もマイナスだが、わたしが行った時(10月下旬)で浴衣というのは季節感が……。でもせっかく日本に来て浴衣体験をしたいならさせてあげたい気がするし、季節感程度なら見なかったことにしてもいい。しかし日本の美意識として「季節感」というのは重要なキーワードで。それを知らない外国人が浴衣で渋滞しているのを見ると、若干やるせない気分になりました。

ひるがえって、自分が観光客として外国を訪れる時に見逃しているもの、知らずにやっていることはたくさんあるんだろうな。ガイドブックでも数日の滞在でも体感はできないもの。やるせない。

 

ドゥカーレ宮殿。

と、しばしの物思いにふけったカフェ・フローリアンを後にして、次はすぐそばのドゥカーレ宮殿へ。

宮殿と名前がついていますが、別に王様がいたわけではないんですよね。ヴェネツィア共和国の元首の執務所・役所・牢獄と、優雅な外観にはそぐわない役割を持った建物です。ピンク色の壁とアーチの連続がレース飾りのようでとても可愛い。

評議員の間。十人委員会の間。元老院の間。中に入るとそれぞれの部屋に昔何に使われていたのかという名前がついていて、それもゆかしい気がする。

ヴェネツィアは貿易の国でした。イメージするのは抜け目ない商人気質の男たち。ヴェネツィアは厳とした共和制の国で、一人が突出して力を握ることのないシステムを構築したそうです。能吏たちによる舵取り。彼らは英雄として歴史に名を残さなかったけれども、上手く荒波をわたっていける航海術を持っていた。そういう有能な男たちが行き来した広間。

ちなみにこの元首を決める選挙方法が面白いので聞いて下さい。

1268年に制定された選挙方法では、まず30人の委員がくじにより大評議会イタリア語版英語版から選ばれる。この30人はさらにくじで9人に絞られ、この9人が40人を選び、そしてその40人はくじで12人に減らされ、その12人が25人の委員を選ぶ。その25人はくじで9人となり、この9人が45人を定める。45人は11人に絞られ、この11人が、実際にドージェを決める41人を選任するのである[3]。この複雑な制度のために、有力家門といえどもドージェの位を自由にすることは難しくなった。この制度は1797年の共和国滅亡まで維持された。

wikipediaより。

なんとまあ迂遠な……!

この方法を考え出したことにまず驚く。何もこんなに繰り返さなくても!バラエティなら「まだやるんかい!」とツッコミが入るところです。

これをどのくらいのスパンで行なうんだろうなあ。この方式にスピードがあれば、不正を行なう余地はどんどん少なくなる気がする。買収の対費用効果も低いだろうし。でもスピードが必要といって、くじで選ばれた人が25人なり30人なりの委員を選出するのにその場でってわけにもいかないだろうなあ。

これを日本国総理大臣の選出時にやってみて欲しいと思った。それでも選ばれる人は変わらないんだろうな。日本の場合は根回しが十分に済んでいるんだろうから。

 

宮殿と名づけられるほどですから内装は豪華です。きらきらな豪華さというより、絵画分野における豊富な人材(要は画家)を活かして、ヴェネツィア派のでっかい絵画が並びます。ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレット。天井画だったり大壁画だったり。……正直ここまで大きいと絵を一枚で鑑賞するという気分にはならず、とにかくその大きさに、へー、というだけ。

あとは大評議の間の歴代元首の肖像画が。これ、天井のそばに展示されているのでなかなか見えないのですが、複製でもいいので見える位置に降ろして見せてくれないかなあ。一体何人なのか。何十人か。100人を超すのか(←どうも120人らしい)。それぞれの顔を見比べてみたい気がする。見学時間がたっぷりないと不可能ですが。

ドゥカーレ宮殿にある牢獄部分へ。ここへ行くためには「ためいきの橋」を通ります。

この橋は外側から見ると白くてとても瀟洒で、ためいきの橋という名前とともにロマンチックに思える場所です。が、実はこの名前は牢獄へ入れられる囚人たちが、シャバの見納めに橋の窓から外界を眺め、ためいきをつく……というところからついた名前。

想像したのは、単純な強盗や殺人を犯した罪人ではなくて政治犯の人々。政治犯というと現在ではテロ行為などと結びついてしまいますが、当時は単に政争に敗れた立場の人もいたことでしょう。1人が権力を握るタイプではなかったヴェネツィアとはいえ、家同士の反目とか利益の対立などはきっとあった。

一族の若者が政争の犠牲になって罪人として捕まることもあったでしょう。苦悩の中で見る外の景色。窓のほんの隙間からかすかに見える海。もう二度と外に出ることはないと絶望していたのか。未来の釈放を信じたのか。

想像をふくらませながら歩く。歴史散歩はそれが楽しいですね。

イタリアの最後は聖マルコ寺院で締めます。

 

 

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